Tara先生のヨガに行ってきました。

今日は、Tara先生のチャクラヒーリングヨガに行ってきた。

Tara先生のクラスに参加すると、毎回、自分が持つチャクラの色が鮮明になり、キラキラ輝き、軽やかになる。

今回もそう。

私の中から、七色の光が放たれ、それぞれの光が美しい香りをまとい、それらがキラキラ光って漂っている感じ。

とってもかぐわしく、暖かく包まれているような至福の時間。

神様から頂いた、七色の宝石が美しくしまわれた宝石箱に、自分が同化してしまったような感じ。

甘く香しい七色の美しいあめ玉を、大切になめている感じ。

いつも、こんな感じでいたい。

せっかく、女性に生まれたのだから。

 

 

 

家族が本当に一番の心のより所なのか 2

その後、一晩たち、朝、目が覚めたら
私は、家族に対する大きな感謝の気持ちで満たされていた。

この世、今見ている現実は、本来の世界の半分でしかないという。

表面がどうであれ、私たちはやはり愛で出来ているのだろう。

だから、
人々をジャッジしてはいけない、
キリスト教では右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい
というのだろう。

そういえば、この前、ゆうこさんから
アイヌの方々は、negativeな言葉を発すると
発した人とその対象の人との両方に、悪い悪魔が寄ってくると考えている。
と聞いた。

もし、negativeな言葉や考え、態度の対象になったら、さっとかわそう。
もし、negativeな言葉や考え、態度の発信者になりそうだったら
今見えている現実ではなく、完全な世界に意識を向けよう。

私は、本来の完全な世界を見ることが出来ないだけで、本来はそこにいるのだから。

家族が本当に一番の心のより所なのか

今日、年末調整の書類を人事部に出した。

ふと、弟は間違えずにかけたかなと気になり、家族に連絡をした。

そしたら、

こんな簡単なもの間違えずに記入できるに決まっている。こんな簡単なものさえ、間違えずに記入できるか不安なのか(あほかこいつ)

という反応が帰ってきた。

 

あぁ、これが私の家族だった。

できない、失敗ということに過剰に反応し、攻撃する人々だ。

 

知識が乏しく、広い世界を知らず、世間の人が、どれだけ知識豊富で、どれだけ日々真剣に高い次元に生きているかということを理解するだけの能力がない人々から発せられる、他人を見下す愛のない言葉や態度。

自分は常にプレイヤーでなく、ジャッジ。自分は何もしないから、失敗しながら進んでいこうという人を蔑み、見下し足を引っ張る。

 

私は、この、他人を尊重する能力がない、悪いことは全て周りのせいにして自分で責任をとる能力がない、感情に支配されて一貫性を持って考え行動できないこの人達にどれだけ傷つけられてきたか。

今までは、そんな自分が不憫で仕方なく、何でこんな家族に生まれてしまったのか思ってきたが、もうそう考えるのも意味がないと思ってしまうほど、この種の人たちの生きる次元の違いを思い知らせれた。

寂しいけど、彼らを許容し許すしかない。

ただ、彼らには彼ら以上の事を理解するだけの許容、能力がないのだから。

私は、だけど虚しい。

私は、だけど時々無性に泣きたくなる。

私は、だけど時々無性にもう生きるのも疲れたと思ってしまう。

それでも、愛を持って生きなければならないのか。

そう。

それが私の学ぶべき道だからだろう。

これを経験したかったのだろう。

人間界のこのドロドロを。