死というもの
私は、昔から死ぬことが怖くない。
しかも、子供の頃から早く死にたいと本気で思っていた。
24歳で、ワーキングホリデーでオーストラリアに行った、帰国の飛行機が乱気流に巻き込まれ飛行機が物凄く揺れた。
この時初めて死にたくないと思った。
自分で驚いた。
以降、素敵なお年寄りとの出逢いから
長生きしたいと思うようになった。
でも、今でも、自分の死は怖くない。
でも、
でも、他人の死は悲しくて、辛い。
今日、私が一番尊敬し、とってもお世話になった恩師の、Gene Campbellが亡くなったと聞いた。
とても、深い知恵と、深い愛と、深い知識を持った、何でも知っていて、いつも温かくて、いつも私を導いてくれる、私の母のような存在の人だった。
ずっとガンを患っていたことは知っていたが、今年の2月のメールを最後に連絡が途絶えていた。
自分が死ぬのは怖くないのに、
なぜ他の人が亡くなると、こんなに憂鬱になり、心にぽっかりと穴が空いてしまったような空虚感に襲われ、胸がこんなにも苦しくなるのだろう。
ただ、Geneのステージが変わってしまっただけだと、分かっているのに。
私が、Geneを尊敬し深く愛していることに変わりはないのに。
体はなくなってしまっても、きっと2人の心は繋がっているのに。
今は何となく、あんなに素晴らしいGeneがこの世に何かをこれ以上残すことが出来なくなってしまったことに対する無念さと
人生の儚さ、本当に人生は有限なんだと肌で感じたからなのかなと感じている。
すべては分からないけれど。
何故、Geneが亡くなったことを知ったとき、涙がでたのか、
何故あんなに胸が苦しくなったのか
自分で自分が分からない
今、私ができることは
Geneのようになれるように、Geneから教えてもらったことを生かして、一生懸命生きること。
まだ、混乱していて、これしか思いつかないので
これを実践しようと思う。
女性性を受け入れるということ
私は、私の中に渦巻く女性性の力強さを
どう対処していいのかずっとよく分からず
そのパワーを持て余していた。
どうしたらいいのか分からず
そのパワーをただただリリースしてしまったり
小周点にそってグルグル回してみたりした。
けど、なんとなくしっくりこない
今朝、ベリーダンスをされている方のブログを読み
昔習っていたベリーダンスを踊ってみた
これか!
と思った。
この女性性のパワーをまず自分の慈しみのために受け入れて、自分のために使うこと。
これだった!
子供の頃から、私の女性性を母親から否定され押さえつけられ、醜いものだと思わされ続けてきた私には、まずこの女性性を自分のために使うことが大切だったのだ。
今まで、何十年間も自分のために女性性を使ってこなかった私が、自分のためにこのパワーを使うことを常にするには、やはり、今、この瞬間の自分に気づいている事が大切。
自分の中に流れている、心地の良いものに気付きながら、祝福された今日を感謝しながら大切に過ごします。
今、この瞬間の主になるということ
昨日、ヴィパッサナーの1日瞑想会に行ってきた。
意識が体と交わったところにが感覚が生じる。
その感覚は、感じているのは、今この瞬間だが、そこで感じる感覚は、過去感じ等れる事なくその場にとどまってしまった感情であることが多い。
その感覚、感情を味わい、時間と共に手放す。
この瞬間の主であるということは
この過去の思いに引きずられず
今、この瞬間に私を包む愛のエネルギーを体を通して、この世界に現実として落とし込むこと
表現すること
無意識でいると、必ず過去の感情に振り回される。
心地の良い感覚を追い求める渇望と、それをずっと感じていたいという執着
心地の悪い感覚に嫌悪を感じ、それを取り払おうとする、もしくはよりその嫌悪に引きずりこまれ、そのネガティブな感情にどっぷりはまってしまう。
常に自分の意識に集中し、今、この瞬間の主であることを確認しながら、この愛のエネルギーを体を通して体現していきたいと改めて思いました✨
不安も罪悪感も
今朝、ヴィパッサナー瞑想をしていて感じたこと。
目に見えない世界
この物質世界でない世界には
光とエネルギーしかない
そして、そのエネルギーも
陰と陽、
強弱の違いはあれど、
全てが祝福
そのエネルギーと光がからだに入って
色と物質世界をクリエイトしていく
私達が不安や罪悪感や自信のなさやその他諸々をこの物質世界に創り出してしまっているだけで
本来のエネルギーは全て中立なのだろう。
このからだ全部で今起きていること全てを受け入れ、感じて味わう。
それが、悲しいことであっても
怒りを生むものであっても
嫌悪感を持たず、そのまま受け取り
味わい、それを自分の新たな光として昇華させていく。
目の前の事象に左右されるのではなく
目の前の事象は中立のエネルギーから自ら作りだしたものという意識をもちながら
今日も、目に見えない世界の美しい光とエネルギーで物質世界をクリエイトしていきます。
ワクワク❤
身体の神秘
カタカムナウタヒで、
私達のからだは、言葉を使って神のエネルギーをこの世に形あるものとして表す為の入れ物であり、エネルギーである神ではなく、この世に形あるものを生み出せるからだが神なのだ。
と謳っている事を知った。
そして、今日のTara先生のヨガのクラスで
無色透明のエネルギーが
からだを通すことで七色に輝く
と仰っていた。
私達の身体は、七色の光を生み出し
神のエネルギーを使って天国を想像できる
まさに、力の場が向こうに分かれる状態を作り上げることができるものだ。
からだ
なんて、美しく、神々しいのだろうか
今日は、私のからだが生み出す
美しい七色の光に包まれて
休ませていただきます🙏
Science and Nonduality
昨日は、SAND(Science and Nonduality)のカンファレンスに参加して来た方の報告会に行ってきました。
私は、スピリチュアルティ、精神世界のことだけを主張する事には、深く賛同できないのですが、昨日の報告会ではそれを超えた世界のお話をされていたので、とても興味深かったです。
叡智にに対する自分の役割を生かして、この世界をどう変えていくか。
自己実現やエゴといった己をどう越えて、社会に貢献していくか。
皆、正解は持っていない。今の自分でどう周りを良くしていくか。
何かになろうとか、何かを掴もうとするのではなく、今、ここの本来の自分に気づき続ける。物質はmindの中にあり、mindはConsciousが作る。
個人がそれぞれの宇宙を見ているが、全体としてはその宇宙は一つに繋がっている。
だとしたら、どの様な宇宙を見ていても本来人は皆と繋がれるはず。
その事に気付いた誰かが皆に働きかければ、無意識の部分から変わっていくと思う。
行動するのが怖いと言っていたフェーズは終わった。
これからは、私がその働きかける人になろう。
人差し指と親指
昨晩、Tara先生がヨガのクラスでこのように仰っていた。
人差し指は自分
親指は宇宙
人差し指と親指を丸く輪に繋げることで、自分と宇宙が繋がる
人差し指と親指を丸く輪に繋げてその感覚を味わってみる
自分が遙か彼方、宇宙の片隅まで
光よりももっと早い早さで広がり
その広大な宇宙がとっても小さな細胞のひとつとして、私の中に収縮し収まった
そして、私の体は
広大な宇宙からなるひとつの細胞が、膨大な数集まり
ひとつひとつの宇宙がそれぞれ独自の個性を持ち、輝きを放ちながら形成されていることを深く味わった。
人の心は無限大
人は神秘的で美しい
宇宙も自然も動物も
全てが神の奇跡の中で己の生を爆発させて生きている
小さな事にとらわれず、この無限大の心と常に繋がりたい
そうだ。これを私のおまじないにしよう。
何かにとらわれそうになったら
人差し指と親指を輪にして
広い宇宙と繋がろう
生の神秘と繋がろう